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2018.05.24 Thursday

ベイスターズ涙の球団史「2011年のナイン」第3弾!

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    JUGEMテーマ:スポーツ

     

    村瀬秀信著「4522敗の記憶、ホエールズ・ベイスターズ涙の球団史」のスピンオフ。

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    2011年ドラフト会議で最後に指名された選手の「天国と地獄」

    序章"嫌がらせのドラフト"と呼ばれて

     

    村瀬 秀信

    2013年に発売されベイスターズファンのみならずすべてのプロ野球ファンの胸を打った野球ノンフィクションの金字塔『4522敗の記憶 ホエールズ&ベイスターズ涙の球団史』。同作品のスピンオフ連載として始まった「2011年のナイン」、待望の連載第2回。それは暗黒時代、史上最弱と呼ばれ、身売り、本拠地移転、球団解散などが噂されたあの秋。どん底の中に生み落とされた高校生たちの7年間の物語――。

    バックナンバーはこちら http://gendai.ismedia.jp/list/author/hidenobumurase

     

     

    5位【乙坂 智】

    ファンの人に生きる力を与えたい

    地元の名門・横浜高校の乙坂・ルーセロ・智・ニコラス外野手は、横浜ベイスターズからの指名を“単騎待ち”の気構えで待ち望んでいた。

    ベイスターズには2学年上の敬愛する筒香嘉智ほか、荒波翔、石川雄洋など、多くの出身選手が所属していたこともある。だが、それ以上に横浜で生まれ育った乙坂自身が、小学生の頃からの熱心な横浜ファンであることが大きかった。野手(写真:野球太郎)

    米国人の父と日本人の母のハーフでありモデル風のルックスを持ちながら、胸に抱くは初志を貫く鉄の意志。そして大和魂があった。 地元の中本牧シニアから親の反対を押し切って横浜高校へ進学。闘志を前面に出すプレーで2年生からレギュラーを掴むと、甲子園出場を果たした。その一方で高校時代に「バットを持ってきて」と頼まれるだけで感激していたほど大尊敬する筒香を見に度々スタジアムにも訪れていたが、その度にスタンドでお客さんから『ベイスターズに入ってよ』と声を掛けられることも珍しくなかった。

    その度にベイスターズに対する乙坂の熱情は日に日に大きくなり、進路決定の際には、大学進学を勧める周囲の説得に対し、家出をしてまで自身の主張を貫き納得してもらった経緯がある。「自分が入って低迷するベイスターズを強くしたい」。横浜スタジアムでの最終戦も観戦し、このドラフトを迎えていた乙坂は、横浜ベイスターズから自分の名前が呼ばれることだけを望んだ。

    野球部の部室で、同期の近藤健介(北海道日本ハム4位)らとドラフト会議を見守っていた乙坂は、その夢が叶った瞬間、大きくガッツポーズを作るとはちきれんばかりの笑顔で「うれしい、本当にうれしいっす」とよろこびを爆発させる。

     

    「スタジアムには小さなころから通っていました。街を歩いていても地域の方が声を掛けてくれる。そんな人たちにプロとして、地元横浜に恩返しをしたい。ファンの人に勇気とか生きる力を与えるような選手になりたいです」

    会見で抑えきれない横浜愛を語った乙坂は、ベイスターズの選手になれるよろこびと同時に、応援してくれる人たちのために自分のプレーで恩返しをすることを強く心に誓っていた。

     

     

    6位【佐村 トラヴィス 幹久】

    続く6位には乙坂と同じハーフの長身投手が名前を呼ばれた。

    「名前が出た時は、何が起こったかわからなくて、皆に胴上げされて名前を呼ばれたんだなと気づきました。指名後も『夢じゃないか』と思っていました」

    ベイスターズがキャンプを張る沖縄県宜野湾市出身。浦添商業の長身右腕、佐村トラヴィス幹久投手は、小学校6年生から野球をはじめ、投手になったのは中学3年生からと野球歴自体が浅く、しかも小・中では補欠のまま終わったという異色の投手だった。

    そんなトラヴィスが高校の3年間でプロから指名を受けるまでに成長した夢物語は、実感が沸くまで1週間の時間が必要だったというのも無理はない。未完成で粗削りなフォームと右肘痛に悩まされながらも最速144キロを出した潜在能力と191僂らまだ伸び続けているという身長は将来性を十分に感じさせる逸材だった。

     

     

    7位【松井 飛雄馬】

    今は厳しい状況だからこそ頑張りたい

    「野球を続けさせてくれた両親に感謝します。父の分までプロの世界で頑張っていきたいです」

    このドラフトで唯一の社会人から指名された、7位三菱重工広島の松井飛雄馬内野手は、テレビ番組の中で涙ながらに元ロッテオリオンズの選手だった父と母への感謝の手紙を読み上げていた。

    その番組は『ドラフト緊急生特番!お母さんありがとう 夢を追う母と子の壮絶人生ドキュメント 運命の瞬間生中継』。渦中の親会社であるTBSの番組である。番組内では、さまざまな苦難に陥った家族が、飛雄馬が野球をやることで立ち直っていく逸話が紹介されていた。

    飛雄馬という名前は、野球好きの母がつけたという。野球をやるために授かったような名前、そして父が元プロ野球選手という環境は、逆境の中でも飛雄馬に自然とプロ野球の世界を目指すための力になった。

    「甲子園に出るために」と、谷繁元信を輩出した島根・江の川高校へと進学したが願いは果たせなかった。それでも卒業後は社会人の三菱重工広島に進むと1年目からレギュラーを獲り、都市対抗・日本選手権にも出場。持ち前の強肩に堅守、パンチ力のある打撃に加え周囲を明るくする人間性が評価され、3年目にしてついに辿り着いたプロからの指名に、全国の視聴者から祝福が送られた。

     

     

    8位【古村 徹】

    神奈川県立茅ヶ崎西浜高校出身、古村徹投手。

    「ベイスターズはやっぱり地元の球団ですし愛着はあります。今は厳しい状況かもしれませんが、だからこそ頑張りたい。僕が強くするなんて言えませんけど、少しでも早く力をつけて、チーム全体で上がっていける手助けができればと思っています」

    ドラフト8位。無名の県立茅ヶ崎西浜高校の古村徹投手は、「ドラフトって8位まであるんですね」とおどけながらも、同校初のプロ野球選手になる実感を噛みしめていた。それまで4年連続で夏の予選を初戦敗退していた同校を、2年生時に5回戦、3年生では4回戦まで導いた左腕は、中学時代に名門私立の桐蔭学園から誘いを受けたがこれを拒否。古村は「野球をやるつもりはなかった」と近所の無名県立校へと進学したが、野球への想いを絶つことはできず野球部へと入部。1年生の秋からエースになると、一躍茅ヶ崎西浜をシード校に躍進させる活躍を見せる。

    最後の夏の県予選。三浦学苑戦では9回2死から大会史上初となるサヨナラ逆転満塁本塁打を放ち勝負根性も見せたが、4回戦で桐蔭学園の茂木栄五郎(現楽天)に本塁打を浴び敗戦。しかし、強豪校を向こうに回しても物怖じしない投球は、神奈川ナンバーワン左腕と評されるまでになっていた。

    その一方で「絶対的な練習量でいえば野球強豪校に比べれば足りておらず、体もまだできていない」と同校の渡辺晃監督が懸念するように、直球もほとんどが130キロ台。他の選手に比べると身体は細く、ついでに眉毛も細かった。それでも、まだ開発されていない“伸びしろ”の部分が、慢性的な左腕不足のベイスターズにとって大きな期待となった。

     

     

    9位【伊藤 拓郎】

    「命を懸ける」最下位指名投手の決意

    ベイスターズ最後の指名は、2011年のドラフト会議で12球団最後に名前を呼ばれる指名選手となった。

    「指名していただいて感謝しています。入った以上は命を懸けるつもりでやりたい」

    帝京高校の伊藤拓郎投手は、大粒の涙を流しながら会見に臨んでいた。

    命を懸ける”。それほどの強い覚悟を述べるほど、伊藤拓郎は高校3年間で誰も経験しないような天国と地獄を味わってきた。09年夏の甲子園。1年生ながら学年最速記録となる148キロを計測し一躍スターダムにのし上がる。周囲はこのスーパー1年生に色めき立ち、スカウトからは「現時点でもドラ1位クラス」「2年後のドラフトでは1位競合間違いなし」と最大級の評価を送られることとなる。

    だが、伊藤の未来は思い通りに開けなかった。2年の夏前から度重なる故障に悩まされ、焦りからフォームを崩してしまう。「伊藤はもう壊れてしまったからね……スカウトからの評価が軒並み下がるなか、それでも3年の夏にはエースとして甲子園に出場。3回戦で敗退後、進路をプロ一本に絞っていた伊藤は、ドラフト会議の終盤「もう自分の指名はない」と半ば諦めかけていた。「自分が指名されないことよりもチームメイトの松本剛(日本ハム2位)に気まずい思いをさせて申し訳ない」。

     

    そんなことを考えていた矢先、唯一指名を終えていない横浜が、自分の名前を呼んだという報せが部室に入ってくる。その瞬間から伊藤は人目も憚らずに泣いた。148キロからはじまった激動の高校生活。様々な人たちの期待、失望、自分への不甲斐なさ、そして未来が拓けた安堵と喜びと。そんな思いが伊藤の「命を懸けるつもりでやる」という強い言葉になってあらわれていた。

    9人が指名された本会議の後に行われた育成ドラフトでは、独立リーグ四国ILの香川オリーブガイナーズから冨田康祐投手、西森将司捕手という23歳の2人が指名を受け、2011年度のドラフト会議は幕を降ろした。

    この日。指名を受けた11人それぞれが喜び、時に涙を流しながら未来への希望を語る姿は、間もなくナニモノかに生まれ変わろうとする、新生ベイスターズへの不安を一時的にでも拭い去ってくれるような希望が見えた気がした。

    ドラフト会議から1週間。指名を受けた新人選手が、TBS体制下で過ごしたのはたったそれだけの時間である。球団売却の狭間でプロ野球選手となった彼らは、入団会見こそDeNAの真新しいユニフォームであったが、指名挨拶や仮契約の際には、横浜ベイスターズのβ帽子をかぶせてもらい、星に帰る直前の球団マスコット「ホッシ―」を胸に抱きながら、満面の笑みを浮かべる姿が確認されている。

    〈次回に続く〉

     

    1998年、日本一に輝いた球団があった。ファンは「これからの黄金時代」を信じていた。でも、なんで…。プロ球団最多の黒星を重ねる最弱球団ベイスターズ、その関係者たちから、証言を聞き歩く筆者。「横浜の伝統とは何か」「なぜ優勝できたのか」「なぜ弱くなってしまったのか」「今後どうすればいいのか」。当事者たちの愛憎入り混じる証言と、名もなきファンたちの思い、そのすべてを丁寧に紡いだプロ野球ノンフィクションの金字塔。これは、多くの敗戦と奇跡の様な一瞬に生きた、選手たちとファンの群像劇だ。

     

     

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